「あざとい」という言葉はいつから使われるようになったのだろうか。最近、「あざとい」という単語を”普通の人”から聞く機会が少なからず出てきたように思う。
他人からは認めないと言われたが、オタクを自称する自分自身、8年前はこの単語を知らなかった。オタクという生き物は少なからず文学的な分野においてちょっとしたプライドを持っていると思う。その上でこの単語は知らなかった。単語を知るようになったのはオタク三人でよく下校していた高校時代に一人が使い始めたことが切っ掛けだった。
「いやー、この絵”あざとい”わ~」
当時の自分は意味が分からなかった。きっと絵を評価するタイプの語句だろう。ただ、プライドが邪魔をして意味は聞けない。だから後で調べよう。今は知ったフリでこの場を乗り切ろう。なので置きの「せやな」を一言。
しかし、場を乗り切るのは容易ではなかった。畳みかけられる「あざとい」の連打に聞いている二人ともたじたじだった。
そのまま話を続けると徐々に「わざとらしくかわいい」という意味だと感じ取ることができた。その影響で数日間、あざといは「わざとらしくかわいい」という言葉に置き換えて話を聞いていた。次第に単語の意味が鮮明ではないというストレスはなくなり、気にならなくなっていっていた。だが、ここでいよいよ恐れていたことが起きた。この単語を知らなかった聞き手のもう一人の友達が「この絵、見て!〇〇さんの絵なんだけど、あざとくないか?」と言ってしまった。ただただ可愛いだけで、小利口さも感じなければ、わざとらしさも感じない絵に対してだ。それを聞いた普段からあざといを連発していた男は顔色を変えて「あざといの意味わかってる?」と冷たい一言。オタクによる語彙力マウントだ。ここまで醜い物はない。そのあとは語る必要もない、想像に難くない。悲惨な知識マウントと死体蹴りにも似た単語説明。
ちなみに「あざとい」だが、正しくは「小利口」「押しの強い」(←これは今回初めて知った。)の意である。
ここまでを前提に、数日前に読んだtwitterのつぶやきを顧みる。
かつて私の英語の先生が言ったことです
— 京大生、学ぶ。 (@kyodaiseffort) 2020年3月7日
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"apple"の意味は、「りんご」ではなく、「皮が赤くて中が白っぽくて噛むとシャキシャキする甘酸っぱい果実」だ
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一見屁理屈に見えるこの言葉は、英語を学ぶ上で重要なある事柄を含んでいます
それは、「母語を介さずに外国語を学ぶ」ということです。↓
正直このtweetの真意は知らない。ただ、あざといの話と繋がる点があると思っている。
まずtweetの方だが、これは英語を覚えるときにりんごという母国語にappleというラベルを貼ってはいけない。あくまで見た目や感覚、概念に対してappleという別の言語を貼り付ける必要がある。と言っていると読み取った。
英語をしゃべるときに母国語を挟まないように覚えることが理想。という思想は以前からきっと英語ができる人間はそういうレベルまで高まっているんだろうと思っていたが、本当にそうなんだ。と驚いたものだ。
あくまで上記のようにtweetを読み取ったときに、あざといは活きてくる。あざといの経験は長らく自分の思想に”単語は正しい意味を知っている物のみ使用する”という戒律を強制してきた。少しトラウマのような記憶だった。
しかし、今回のtweetを受けて、あの経験は自分の中で言語学習のサンプルケースとして活かされることになった。
私たち2人は会話の中で「あざとい」の意味を調べることなく感じ取ったのだ。そして、間違ってはいたとしても使用できるレベルまで読み取っていた。
間違っていたとしても、あの記憶が前向きに捉えることができた、このtweetに感謝したい。
今はこのファジーな感覚が狂おしく大切に思える。