整理しておかなければ繰り返して後悔しそうなので。最悪の記憶を書き留めようと思う。
結局は浅い人付き合いばかり上手くなって、深い人付き合いは何一つ上手にできない。と言うだけなのだが、気づくまでの道のりで負った傷が深すぎた。
自分は社会人になって、あらゆる大人と仲良くなることが上手くなった。
フットサルや登山、ゴルフ、BBQ、スノボなど、年齢問わず仕事仲間と一緒に経験したアクティビティは多い。
飲み会も得意分野で初対面でも会話で苦労するようなシーンは最近ない。
営業職でもない割には上手にやっている方だろう。
学生時代はいじめられ続けた経験があり、閉鎖的だった。何なら嫌すぎて記憶がほとんどない。それに比べれば随分成長した。いわゆるコミュ強と言っても良い。
そんな中で久しぶりにこの夏、別々の親友と2回旅行をした。一回目は関西。二回目は九州。
関西の方は旅行のプランニングを親友Aがしてくれた。自分は仕事で年に30回近く出張をするが、出先に対してほとんど興味がなく、出張中に遊びに出ることはほとんどない。ゆえに旅行をしたいという願望が存在しない。そんな自分からすればプランニングしてくれるのは助かる。ただ実際その旅程行ってみると10分刻みで店が変わる。あまりにも忙しない。
ただ親友Aはこのガチガチに組まれた旅程が気に入っている様だった。一つずつクリアするのは彼の欲求を満たしていたようだ。
ついて行きはしたが、その旅程全てを「良かった」と言うのは難しかった。あまりにもしんどい気持ちが強い。あとそんなに食べられない。
その中で旅程に空白が出来た。自分は少しだけ行きたいと思っていたラーメン屋を提案した。親友Aはあまり乗り気ではなかったみたいだが、付いてきてくれた。しかし、このラーメン屋が下馬評と違って美味しくは無かった。普通のラーメン。
これについてかなりチクチクと言われた。行く意味が無かっただの、面倒だっただの。
こちらとしては別に「絶対旨い」と紹介している訳でもないし、ラーメン屋が期待外れなんてことはよくあることだから全く痛くないが、彼の完璧な関西旅行に水を差してしまったらしい。
後日、旅行について振り返って話すと、彼曰く「君が関西を楽しみ切れていなかった。」「プランについてこれていない。」「ラーメン屋に行く意味が無かった。」など指摘を受けた。
確かに事実だが、旅行とはこうも痛みを伴うものだっただろうか。
親友Bとは九州に旅行をした。メインの行先を提案されたので、前後の宿は適当に相談しながらピックアップ。移動手段はバスで行けそうなのでレンタカーは予約しない。飛行機も適当に予約。という所まで二人で電話をしながら一日で計画。晩飯や昼飯のほとんどが目途を立てずにとりあえず計画終了。ちなみに予約自体は自分がほとんど行った。
そこから何もせず2か月が経ち、旅行三日前。計画を見直した時、食事が決まっていないことや空白の時間に気付き空き時間に対してレンタカー予約とランチ、ディナーの候補を適当に一人でピックアップ。すこし旅程を盛ったと親友に連絡をして、旅行当日を待った。
そもそも天気が悪く、あまり気分が良くない状態で進む。空白時間を何とかするため、レンタカーでドライブしたがあまり盛り上がらず。何なら不満が出る始末。
ランチはどこもかしくも臨時休業で結局最寄りのスーパーで弁当。純粋に運が悪かった。
ディナーに至っては入店まで50分待ち。別の店を探すことを提案したあたりで完全に空気が悪化。そこで親友Bから一言。「今回は俺(親友B)がみてなさ過ぎた。旅行でこんなに手持無沙汰になったことなんてなかった。」との反省表明。
このセリフは本当にただの反省なのかもしれないが、予約のすべてを行ったこちらからすれば「期待外れだった。自分が準備すれば良かった。」と取れなくもない。と言うか実際そういう風に受け取った。(意思疎通ってのは難しいね。)
ただ、こういう手合いには慣れているので、喧嘩せずそのまま放置。こういうのは時間が解決するので、刺さってないふりをしてとりあえず会話継続して無事ディナーにこぎつけた。誤解かもしれない可能性がある悪口は、基本的に悪口と思わずに生きるのが、処世術なので。
そのほかにも、今回偶然のヒッチハイクに2回成功しており、そのうちの一回は親友Bが話しかけたことが起因しているので、ヒッチハイク自慢が続く。これを自慢と感じている時点で自分も心が狭い。ここで、「自分”も”」と書いてしまった所も最悪だ。
親友Bがヒッチハイクをしてくれた運転手と明日も遊ぼう。と提案したが、これを自分は軽く止めた。(明確に止めた記憶はないがそうらしい。)彼の提案を否定したこともかなり不愉快にさせたようで、運転手と遊ぶ方がよかったのでは?という提案を車を降りた後も何度もされることとなる。(割愛するが物理的な問題で無理)
両方の旅行の嫌なところだけを抽出したので、最悪に見えるが、旅行自体はどちらも楽しんでくれていたと思う。ただ、親友と思っていた2人とあまりにも心の溝ができたように感じた。反省しなければならない点がいくつかある。
親友A,Bは下記4点の感性があるかもしれない。
①提案した内容が否定されることを嫌がる。自分が提案したことに対して誇りを感じている。
②旅行は案外体力を使うので、心の余裕がなくなる。
③旅行はお金と時間がかかっているので、楽しめなければ不愉快に感じる。
④旅行をしたい。と言う気持ちの裏側には”過去の旅行が楽しかった。”と”過去の旅行を成功させた。”という感覚がある。つまり過去の旅行と常に比較する。
当たり前のことを羅列しただけだが、これが自分の感性には全く当てはまらなくて驚いた。
①もし、結果が仮定できる事なら別だが、旅行の提案なんて体験しなければ結果が分からないのだから、否定されても痛くもない。また、どちらが提案しようが、同意の上で決行するものは二人の計画だと思う。
②出張で慣れている。徒歩の許容範囲が広い。あと疲れたら予定潰して休めば?
③そもそも旅行で楽しめるか?が博打なので、楽しめなくても良い。
④旅行を成功させた。と言う感覚がない。友達と長い間一緒に話せるの楽し~くらいの空気感。
ここまでが旅行に対する反省だ。
そしてここからが人生の反省だが、自分は何一つとしてコミュ力が上がったわけでは無かった。社会人になってから上辺の付き合いは本当に上手くなった。初対面の人や友達になるまでの必要が無い人。とはいくらでもうまくやれる。これは結局距離感の問題で、距離を空けても良い付き合いは上手いのだ。
ただ、社会にかまけている間に、距離が近い友人との縮め方を完全に見失っていた。距離が近いゆえにお互いのリスペクトなどが比較的欠けていて、自分の楽しみを増長するための関係性。いや自分の楽しみが増長すると確信(期待)している関係性。
つまり、人の距離感とは確信にも似た期待なのだ。期待が大きいか小さいか。だ。
子供の頃は遊びから始まって友達が形成されるし、同じ遊びを続けるので、楽しいことが確約されている。
しかし、それが大人になった時、人間関係が突如楽しいものではなくなり、確約されなくなる。これが距離だ。
大人になって距離を空けて期待せず人と付き合うやり方ばかり上手くなったために、友達から楽しいことを確信されていることを忘れていた。そして遊び方は昔と変わっているから楽しさの確約はされていないのだ。このズレに気づけなかった。
楽しいと確信している親友。遊び方が変わって楽しさの確約は無くなった。
ただ、親友は他の旅行で楽しいと確信している。経験上この遊びは楽しいと確信しているのだ。
足りない部分を埋め合わせなければならなかったのだろうな。もう、何もなくても楽しめるような(精神)年齢ではなくなってしまったのかもしれない。
また、付き合い方も変えなくてはならない。対等な立場で考えていたら、おそらくこの仲が一生続くとは思えない。
フラットに見た時どちらの親友も自己中心的だと思ったからだ。これまでは思わなかったが、そういう風に受け取ってしまった以上、自分の認識は変えられない。だからと言って相手の思想を変えるのはさらに難しい話。
であれば付き合い方を変えるしかなくて。
相手のことを常にリスペクトして、自分と比べることはしない。相手の考えを否定するようなことはしてはいけない。事実の列挙は避ける。事実の提示は気づいたフリで伝える。等、外部の人間と関わるときの丁寧さが求められる。
自己中な人間から身を守る必要がある。
別に実施するのは大したことじゃない。他人だと思えば苦なく出来るけど、これを乗り越えた先に何が残るんだろうか。